2010年10月 のアーカイブ

第五旅団創立記念日

2010年10月31日 日曜日

自衛隊の第五旅団創立記念日に出席した。

新党大地の浅野衆議院議員、自民党の宇都参議院議員の後にご挨拶の機会を頂戴した。

私はあいさつの中で口蹄疫の終息に向けて陸上自衛隊員の献身的な活躍があったこと。また日中では尖閣沖での衝突、日ロでは大統領の北方領土訪問、北朝鮮では世代交代による国内情勢の不安定化などがあり北の守りがより大事になると申し上げた。

毎月、一回防衛勉強会を開催して内外の情勢把握に努めている。もちろん戦争のない、武器のいらない平和な世の中が私の理想であり出来るだけ防衛費の削減に努めていきたいが現状ではそのようにはいかない。国民の生命と財産を守るためのコストの確保はどうしても必要であるからだ。

口蹄疫の問題を取り上げたのは十勝が酪農・畜産王国であるからだ。もし何か発生したら大変なことになるが最悪の事態を想定しておかなければならない。その時にはどうしても自衛隊の力に頼らなければならない。

十勝や道東の地域の防災のためにも第五旅団の皆さまには頑張ってほしい。

北海道肉用牛生産者協議会

2010年10月31日 日曜日

昨日、北海道肉用牛生産者協議会の全道集会が帯広で行われた。

協議会から講師の選定を依頼され講師として参議院議員の高橋千秋前経済産業大臣政務官をご紹介させていただいた。

高橋先生にはご多忙の中、帯広まで足を運んで頂いて心から感謝、感謝である。高橋先生には2年前も十勝に来て頂いた。JA三重経済連の出身であり農政通の先生なので講師として協議会の方々にも満足頂けたと思う。

私も講師の紹介を兼ねてご挨拶をさせていただいた。

昨日の演題は平成23年度畜産関連予算の概要と今後の畜産の展望であったが突然のTPP騒動の最中であったので時間の大部分を割いてTPPについてお話を頂いた。また肉牛の免税廃止が民主党のプロジェクトチームで提言が出た後でもあったのでこの問題についても意見を頂いた。先生はTPPについてはまずはテーブルの交渉につくべきでまったくつかないとなると今後、参加したいとなってもルールが出来上がった後では何も言えないと。日本に不利な内容であればそこで打ち切ればよいのであって最初からつかないというのはいけないのではとご自身の考えをお話ししていただいた。

TPPによってもしアメリカやオーストラリアの牛肉が無関税で入るということになれば黒毛和牛のA4やA5クラスしか生き残れないのではと言われている。北海道の肉牛生産の大半は乳用種及び交雑種であるので昨日集まった生産者にとっては死活問題である。もちろん技術革新によって生き残りのために努力をしてもらうことも必要であるが努力をしてもまだまだ太刀打ち出来ないほどの価格差があるのが事実である。安い外国産があるから肉牛農家を税金で保護しなくともいいではないかという意見もある。しかし私はその意見には組出来ない。酪農も肉牛も畑作も循環しあっているのでありひとつが極端に崩れることは他にも大きな影響が出るからである。

日本の和牛は海外で高い評価を得ている。海外戦略を描きつつ国産の振興に力を入れていきたい。

歴史は繰り返す

2010年10月29日 金曜日

昨日も佐藤優氏の勉強会を行った。

回を重ねるにつれ参加者が増えている。国会議員の先生方も忙しい中、参加を頂いている。やはり佐藤氏の解説が現状の政治との比較をしてくれるので参考になるからであろう。

昨日はルイ・ボナパルト時代と現在を比較してラジカルな改革は必ず後戻りすると指摘していた。企業団体献金廃止の後退などが最近報道されたがまさにそうであろう。また革命の後は内部抗争になると指摘された。小沢一郎氏は約20年に渡って政界の中心にいる。小沢か反小沢かが常に争点になってきたがこれがなくなればまた新たな対立軸が出来るであろうと。

また現在の中国情勢をオフィシャルナショナリズムが台頭していると指摘。つまり共通のくくりとして共産党が民族の代表の顔となるためにナショナリズムを作ろうとしていると。

しかしこの暴動が反日で止まるのだろうか。蟻族と言われる小皇帝達が第二の天安門事件を起こす可能性は否定できない。

環太平洋戦略的経済連携協定

2010年10月27日 水曜日

 TPP。最近よく新聞やテレビに出てくる用語だ。環太平洋戦略的経済連携協定Trans-Pacific Partnershipの略語である。

 菅総理の所信表明演説に突然出てきた言葉だ。私が民主党に所属していたころにこのTPPへの参加問題は一切議論に上っていない。なぜ突然このタイミングで出てきたのかもよくわからない。農林水産部会でもこの問題をめぐり大紛糾である。昨年のマニフェストで日米FTA締結という文言を党内の合意なしに入れたときにも大変な議論になった。当時、鉢呂先生や松木先生、篠原先生などと連絡を取りながらマニフェストの修正を実現した。あの時の事が全く生かされていない気がする。

 この協定の概要は平成27年までに工業製品や農業製品の品目にかかわらず例外品目の極めて少ない(交渉締結時に貿易総額の90パーセントの関税を撤廃)関税撤廃と貿易自由化を目指すFTAを含む協定である。シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国で発効し、現在はオーストラリア、ペルー、アメリカ、ベトナムを加えた8カ国で交渉を開始しておりマレーシアも加わり9カ国で交渉している。

 WTOが遅々として進まない中で世界はブロック化を強めている。私はこの状態は好ましくないと考えている。世界平和を考える上でブロック化は危険な方向である。グローバリズムは世界を幸福にしたかといえばその答えはノーである。

 今日は甘味資源作物対策に関する集会に出席してきた。北海道、鹿児島、沖縄の各地から多くの農業関係者が参加していた。私に発言の機会は無かったがビートの振興に尽力している事は伝わっていると思う。

 世界中が平和で戦争が二度と起きないのであればある程度適地適作で世界中が資源を無駄にしないような形も考えられるかもしれない。しかし国家として常に自国民が危険にさらされる状況を想定しておかなければならない。砂糖生産はコストがかかるものであるがもし万が一、糖分が入って来ない事態になった時に生産体制を崩壊させてしまっていたら大変である。

 これは大げさな話ではない。事実、日本の製糖産業は形成不振のために明治29年に閉鎖され台湾に機械は売却され日本本土に製糖工場は無かった。しかし第一次世界大戦で世界の砂糖生産の半分を占めていた甜菜糖は大打撃を受け、糖価暴騰と深刻な砂糖不足を来たした。そこで砂糖の安定供給対策が急務となり北海道に再び工場が出来たのである。

 今は時代が違うので状況は当時と大きく異なるかもしれない。しかし国家の為政者は常に国民が戦乱に巻き込まれた時のことも想定しておかなければならない。

 もちろん日本は工業立国であるので自由貿易の促進は必要である。しかし国家全体の事を考えると拙速にTPPの締結を行ってはならないと考える。

補欠選挙

2010年10月25日 月曜日

北海道5区補欠選挙は自民党候補が勝利した。

12万票対9万票の3万票差で中前候補は涙を飲んだ。国土交通省を退官しての戦い。安定した公務員を退職して挑んだ選挙であったが政治と金の問題や尖閣諸島問題の対応など国民から厳しい目が向けられた中での選挙戦であった。補欠選挙は総力戦であり時の政治情勢が大きく作用するので個人対個人の戦いより政党間の戦いになる。中前さんはすばらしい候補であったと思うが政党間の戦いの中に埋没してしまったと思う。

しかし準備期間が短い中で知名度の無い中で私は善戦したと思う。

私自身は離党していることもありまた政治とお金の問題の当事者でもあるので先頭に立って応援することが出来なかったので申し訳ないと感じている。

私も最初の戦いは3万票以上の差で敗北した。中前さんと同じく大物候補相手の選挙戦であった。敗戦が決まったと後、夜中に選対から宿泊先のホテルまで歩いて帰った。その際にタクシーの運転手さんからまた頑張れよと声をかけていただいたのを覚えている。翌日からあいさつ回りを開始し捲土重来を誓った。

中前さんも家族を抱えこれから当時の私以上に大変だと思う。しかし9万人が期待を寄せてくれた事実は重い。

是非、今後も頑張って欲しい。

37歳

2010年10月23日 土曜日

 昨日、3年ぶりに函館で泊まった。

 3年前にホテル花びしの西村君の結婚式に来て以来だ。西村君は高校は違うが大学時代から遊び仲間である。

 その西村君も含めて高校時代の同級生と函館の夜の街へと繰り出した。地元の大手建設会社の息子、中古自動車販売業、エステ経営、市役所職員などみんな進む道は違っているがそれぞれの世界で頑張っている。

 事件の事も話題になり自殺報道なんか出ていたのでずいぶん心配したと言われた。

 37歳ともなるとさすがに独身は少なくみんなそれぞれ家庭を持ち悩みの種類が違ってきている。仕事の事意外に夫婦のこと、子供のことの話なんかが多くなってくる。

 いつのまにか37歳である。30過ぎたら結婚かと思っていたが選挙に出馬、落選。そして繰り上がり当選の後、2回目の当選も出来たが逮捕とめまぐるしく時を過ごしてきた。

 しかしもう40歳に近くなってきた。

 不惑までもう少し。

 落ち着いていこうと思う。

 

牛乳の海外戦略

2010年10月21日 木曜日

  酪農の所得補償制度をどのように構築していくのか。大変大きな課題である。

 牛乳の消費量は年々減少している。昔は貴重な栄養源として牛乳は国民の健康を守っていたが今は他の代替飲料の普及もあり牛乳離れが進んでいる。給食での消費量も少子化で減っている。

 一方、そうした状況の中で13億の市場を持つ中国への牛乳の輸出戦略をどのように練っていくかも考えていかなければならない。先月、農林水産省は中国向け乳製品の輸出再開に向けて当局との交渉により再開が可能になったと発表した。しかし数量はまだまだ少ない。粉ミルクで2044トン。牛乳で102トンである。ちなみに香港へは2000トン輸出している。

 中国では牛乳を飲むよりも豆乳を飲んでいる。上海で病人に持っていくものとして牛乳を持っていくこともあると中国にいた人から聞いた。まるで昔の日本に似ている。  

 牛乳を含む乳製品は日本で口蹄疫やBSEなどの発生が起きた場合輸出がストップするので中国で現地生産したいところであるが昨今の暴動騒ぎにも見られるようにチャイナリスクが影を落とす。

 やはりここは地道に輸出を増やしていくために官民が一体となって増加に向けて取り組んでいくことが大切である。

 農林水産省の担当者からヒアリングをしてみるとチルド牛乳を明治が輸出していたが現地の冷蔵ネットワークが発達していないため食中毒などのリスクが高いために止めたそうである。輸出はロングライフ牛乳が中心となる。

 最近、粉ミルクを扱いたいという中国人からの依頼があった。やはりメラミン事件以来、日本製への信頼が厚いのであろう。メラミン事件とは2008年に中国の三鹿ブランドの粉ミルクを飲んだ乳幼児達に腎臓結石の症状が見られた事件である。中国ブランドへの不信感が日本製購入へと向かっている。2008年の香港への輸出量は1300トンから4100トンに。中国への輸出も1000トンから2000トンへと急増している。中国へ帰るときにもお土産としてずいぶん買っていくそうなので実数はこれ以上ということだ。

 MADE IN JAPANへの信頼は厚い。

 乳製品にもこの信頼があるのである。輸出増加に向けて予算の確保等に取り組んでいきたい。

 

まかり通る

2010年10月19日 火曜日

 昔、電力の鬼と言われた松永安左エ門は大病、倒産、投獄、3つのうち2つを経験していれば経営者として大成すると言っていたそうだ。とある支援者があなたはそのうちの一つを経験できたと思えばいいからと慰めてくれた。

  そう言われて励まされたのはいいが私自身、松永安左エ門なる人物をよく知らなかったので聞いた後に勉強してみることにした。 

 ネットをひいてみると財界人に小説にして面白い人物は誰かと聞いてみると松永安左エ門の名前が挙げる人が多かったと記述があった。

 小島直記の小説「まかり通る」を購入してみた。読み応えのある伝記である。小説は奔馬編と激動編の2部構成となっている。幼名は亀之助。長崎県の壱岐産。福沢諭吉が生きていた当時の慶応義塾に通っている。小説の中では当時の政治家や財界人との交わりが書かれているが福沢諭吉の養子である福沢桃介との友情と打算が折り重なる人間関係が最高に面白い。衆議院議員にもなっているが中野正剛と選挙区で戦っていたのには驚いた。

 松永は株の暴落で全てを失った後、隠遁生活に入る。女好きで遊び好きだった男が一切の俗世間との関係を絶ってひたすら読書に励む。勉強に励む。物事の真理を追い求める生活を2年間続けた後、起業して再起を果たした。

 自分自身、離党した後、消費者特別委員会の筆頭理事や農林水産委員会の理事などを拝命しているときよりは勉強する時間が出来ている。佐藤優さんのお陰で勉強会を開催し仲間と研鑽を積む時間を持つことも出来た。

 人生は七転び八起きである。頑張っていきたい。

 

日曜討論を見て

2010年10月18日 月曜日

昨日の日曜討論は面白かった。

通常、出演者者同士が配慮をしつつ持論を展開していくが出演者の主張が真っ向から対立していたので見ごたえがあった。

WTOのドーハラウンドが10年たっても交渉が難航している中でEPAやFTAをどのように推進していくかという立場において太田氏は積極推進派であり野口氏と浜氏は否定的な立場をとっていた。政治家としてただ一人出演していた海江田大臣は日本は立ち遅れているので推進していくと発言した。

10年も交渉して妥結をみないということは発展途上国が本当にメリットがあるのか懐疑的になっていることが原因の一つでもある。時ュ貿易は世界経済の発展に寄与してきたがいつしかグローバル化が形を変えた覇権主義になっているのではないだろうか。

世界全体が公平な再分配の仕組みを議論しなければいけない。そのためにもあまりブロック化が進むのは私は望ましくないと考えている。

モンテンルパの会

2010年10月16日 土曜日

 太平洋戦争が終了してもなお戦犯として長い間フィリピンのモンテンルパ収容所に元日本兵が多数収監されていた。収監されていた元日本兵が作詞、作曲した歌が「モンテンルパの夜は更けて」である。それを聞いたフィリピンの当時のキリノ大統領が特赦によって100人全員を解放した。

 今日は支援者の一人である梅津さんが呼びかけ人となりモンテンルパ収容所に4年半の長きにわたって収容されていた佐久間啓治さんのお話を聞く会が開かれたのでお伺いしてきた。私の事務所も開催の準備にあたり多少お手伝いをさせていただいた。

佐久間さんは94歳。今日はおひとりで小樽から列車に乗って来ていただいた。50人以上の人の前で自分がお話しするのは生きているうちにはこれが最後でしょうと言われ目頭が熱くなった。

 佐久間さんは死刑囚が死を待つ恐怖についてお話をしていただいた。明日は我が身かと毎日恐れおののいていたと赤裸々にお話しいただいた。

 部屋を出るときに実際に戦地に行った方から頑張れと激励をしていただいた。佐久間さんは戦争の犠牲者は私たちのみにしてほしいと言われた。戦争を経験したことのない我々がいよいよ政治の中枢を担う時代になる。平和を希求すべく間違った方向に進路を誤らせないようにしたい。