2010年10月 のアーカイブ

白里忌

2010年10月15日 金曜日

 関寛斉翁の白里忌に参加してきた。翁の命日を偲ぶ命日祭である。

 今年は一昨年も参加いただいた梅村参議院議員と共に参加してきた。また梅村先生の先輩医師でもある長尾先生も大阪から駆けつけて頂いた。前泊した際に顕彰委員会の斉藤宅で懇親会をおこなったが梅村先生からたくさんの貴重なお話を聞くことができた。

 特に印象深かったのが関寛斉は孫から遺産相続裁判を起こされたが、争いにによって財産を得た徳島県の孫も結局は戦争で無一文になった。裸で生まれてきたものが欲深くしてはいけない、土地を小作農の方々に分配して皆を幸せにすべきだという翁の教えが正しかったということだと思いますと語っていたことだった。

 医学の分野で翁の考えは現在の医者になるものに教えるべきと梅村先生も長尾先生も語っていたが私はそれと同様にこの考え方をどのように政治に取り入れていくかが重要と考えている。

 国民皆が幸せになれるような再配分の仕組みを作らなければと思う。

霞が関ラ・サール会

2010年10月13日 水曜日

官庁に勤務するラ・サール出身者の会合に参加してきた。ラ・サールは鹿児島と函館の2校である。通常、ラ・サールと言えば鹿児島のことであり函館は冠に函館ラ・サールとつける。ちなみに我が母校・函館ラ・サールは今年50周年を迎える。

この会は官庁勤務と国会議員に案内を出しているが函館ラ・サールで出席したのは私のみ。いささか寂しい気がした。

さて、事件の後に鹿児島ラ・サールの28期の方々に激励会を開催して頂いた。ほとんど面識のない方であったが石川を応援したいということで15名くらいお集まりいただいて激励して頂いた。

ラ・サールはファミリースピリットを大事にする学校だからと。

ラ・サール関係者にはラ・サール出身の国会議員が逮捕という大変不名誉な思いをさせてしまった。裁判闘争を含め名誉挽回のためにも頑張らなければと思った。

死刑制度について

2010年10月12日 火曜日

 昨日、テレビ東京の番組で死刑制度についての特集番組が組まれていた。千葉法務大臣が大臣辞任前に2名の死刑囚の執行を行った。私はつい最近まで死刑制度は絶対に存続すべきと考えていた。強盗殺人や無差別殺人などによって殺された遺族の気持ちを考えると死刑制度は廃止すべきではないと考えていたからである。そして犯罪の抑止力足りえると考えていた。

 しかし最近は多少違う考えを持つようになった。そのきっかけはやはり自分自身が逮捕され検察、司法の現状に関心を持つようになったからである。検察や裁判所も神様では無い。人間であるから時には間違いもある。死刑は一度執行してしまうと取り返しがつかない。もし死刑囚が冤罪だったら大変なことだからだ。

 私が東京拘置所にいた時の房はD棟11階の1室というところであった。取り調べの時にはドアから一番近いので他の房の前を通ることはない。しかし運動場に行く時やお風呂に行く時には他の部屋の様子を見ることが出来る。もちろんあまりジロジロ見るわけにはいかない。喧嘩のもとになるからだ。たまたまテレビを見ている房があった。一つだけではなくいくつもの部屋で見ていた。全部で66房のうち5房くらいだったかと思う。後で知ったのだが拘置所でテレビを見ることが出来るのは確定死刑囚だけだそうである。今でもテレビを嬉しそうに見ていた死刑囚の顔が思い出される。

 私は高校時代に寮生活を送っていたが1年生の時は100人部屋で2段ベットが50個並んでいる部屋で寝る。まあ部屋というよりは体育館に2段ベットが並んでいる軍隊のような所だと想像してもらうといいかもしれない。1年生の時には部屋でテレビは見ることは出来なかった。見るためにはテレビ室というところに1台あるのでそこで見るしかない。1台しかないのでチャンネルはその場にいる者の力関係で決まっていた。死刑囚も含め長期拘留者には決まった時間に見ることが出来るようにして刑務官に負担がかからないような方法でテレビを見ることが出来るようにしてもいいのではないかと思う。

 昨日のテレビに出演していた元刑務官は「死刑制度は必要である。死刑制度を存続しているうえで死刑の執行を行わないのが一番いい状態ではないのか」と語っていた。犯罪抑止力については本当に効果があるのかもっと検証が必要であるが少なくとも遺族感情への配慮という点において考えると死刑制度の廃止は時期尚早というのが今の世論である。私は死刑に関して現段階では動かぬ物証があり明らかに犯行が立証されているもので本人も納得しているものにのみ執行するべきと考えている。

この問題について廃止の結論を出すのはまだ難しい。

焼き鳥の せいの 25周年

2010年10月11日 月曜日

土曜日に帯広市内にある「焼き鳥のせいの」さんの25周年記念パーティーに参加してきた。このお店は安くてボリュームがあることで有名だ。私は最初にお伺いした際、たくさん注文して残してしまったことがある。支援者の水口さんの紹介がきっかけだ。常連客を代表して水口さんが挨拶をした際に「5年前の20周年パーティーの時に石川を国会へ送り出すのが夢ですと言いましたが実現できました」と語ってくれた。5年前は落選中であったが挨拶の機会を頂いたのを覚えている。しかし25年お店を続けるというのは大変な事である。マスターはその秘訣をお客さんが友達に紹介してくれて客層が自然と新陳代謝しているからですかねと語っていた。お店の経営は軌道に乗るまでは大変だ。常連客が出来てようやく安定してくる。しかし新しいお客さん、若いお客さんが来ないと長くは続かないであろう。30周年に向けて頑張ってほしい。

建設国保問題 

2010年10月9日 土曜日

 9月9日に全国建設工事業国民健康保険組合に是正改善命令が出されてから1か月が経つ。私は昨年の夏頃からこの問題の解決に向けて東京都や厚生労働省そして北海道の関係者と解決に向けて取り組んできた。そもそもこの事件は工事業国保が、本来加入資格のない人を多数加入させて国庫補助金を不正に受け取っていたことが問題である。

日本は国民皆保険制度である。我々は大企業の従業員などの健康保険組合、公務員の共済組合そして市町村などの国民健康保険組合などに加入して医療保険の適用を受けている。国保組合の歴史を見ると昭和13年旧国民健康保険法が施行。地域住民を対象とする普通国保組合(現在の市町村国保)と、同一事業・同種の業務に従事する者を対象とする特別国保組合(現在の国保組合)を制度化。いずれも任意設立であった。

昭和23年市町村国保を原則化。市町村が実施しない場合には、国保組合の設立を認可。

昭和34年新国民健康保険法が施行。全市町村に国保事業実施を義務づけた。ここで新たな国保組合の設立は原則認められないことになった。

しかしその後特例的に建設国保(土木建築関係の国保組合)を認可した。その理由としては当時、本来被用者ではない大工・左官等の一人親方についても、日雇い健康保険法を擬制的に適用していたが、これらのものの適用除外を内容とする制度見直し案に対し、市町村国保に移ると保険料が高くなるとして、労働組合が激しい反対運動を展開したためその代償として国保組合設立を認めるとともに特別な補助をおこなうとしたものであった。

国保組合には他に医師組合や歯科医師組合、薬剤師組合などもある。一覧表を見てみると中には京都花街組合や東京芸能人組合というのもある。東京芸能人国民健康保険組合のホームページを拝見すると戦後の混乱期の中で当時の大物芸能人の方々が苦労して設立までこぎつけた経緯がわかる。

このようにさまざまな国保組合があるが工事業国保の運営には多くの問題があった。ずさんな運営に対して何とか正しい方向に直していきたいという方々の熱意を受けて私も努力させていただいた。その最中に逮捕されたが独房で朝日新聞の工事業国保の記事を見た時はこれで改善に向けて動き出すなと思い。そしていよいよ改善命令が出された訳であるが今後の見通しとしてもし解散になるとなるとこれでは本末転倒である。建設業が厳しい中、この制度がなくなることにより保険の適用を受けられなくなる方が出てくるのは避けなければならない。関係者の意見を聞きながら私も出来る限りいい方向に向けて努力をしていきたい。

今日の記事でNHK記者が捜査日を漏えいとの記事が出ていた。工事業国保を改善に向けて動かしたのはマスコミの力であった。マスコミの力は大きい。使い方を間違えると大変なことになる。この問題については別の機会に自分の考えをお話ししたい。

松山千春コンサート

2010年10月8日 金曜日

 昨夜は久しぶりに市原市で開催された松山千春さんのコンサートにお伺いしてきた。毎年、東京と札幌のコンサートには日程を調整して伺うようにしているがそれ以外では初めてだ。鈴木宗男先生のご家族に連れて行っていただいた。今回は秋のツアー初日ということで会場も満員で盛り上がっていた。

一発屋という言葉がある。歌手や芸能人で一曲だけ売れたり一つの芸だけがヒットしたりした芸能人をさしていう言葉だ。政治家も同じで1回だけは風で当選することはあるかもしれない。郵政選挙で当選した小泉チルドレンにはその類のも少なからずいたであろう。そう考えると1977年以来、ずっと第一線で活躍している松山千春さんの実力はすごい。33年間コンサート会場を常に満員に出来るアーティストはそういない。ちなみに私は足寄郡足寄町生まれであり小学校、中学校は松山千春さんの後輩である。会場には私が子供のころお菓子を買いに行っていた足寄の吉川商店の息子さんも来られていて「ともひろ」と声をかけられる。足寄町の誇りである松山千春さんのコンサートには足寄や十勝地方出身の方も少なからず来ているのだろう。

コンサートの終わり近くに鈴木宗男先生と一緒に壇上に呼ばれて紹介を受けた。会場からも鈴木先生と私に頑張れと激励の声が飛ぶ。

松山千春さんの配慮に感謝しつつ会場を後にした。

松山千春さんのコンサートツアーには必ず副題がついている。今回の題は「慕う」である。鈴木先生と松山千春さんの友情は大変固いきずなで結ばれている。ムネオハウス事件のときのメディア攻撃を見ていたら距離をおいてもおかしくないのに鈴木先生とずっと行動を共にしてきている。なかなか出来ないことである。「慕う」の副題にはそんな思いも込められているのかもしれない。

補正予算及び景気対策

2010年10月7日 木曜日

 先週29日、日銀9月短観が発表された。企業が抱く景気の先行きへの不安は強まっている。生産や国民生活の消費の実態としては夏場までの好調の反動が出てきている。また輸出企業などでは円高の影響も大きい。このような状況の中、日銀ではゼロ金利政策を復活した。政府与党も一日も早く補正予算の成立を目指さなければならない。

最近の補正予算のスケジュールを見ると平成20年度1次補正は20年10月16日成立ー10月20日から11月7日まで要望調査ー割り当て内示が11月25日、平成20年度2次補正は21年1月27日成立ー20年12月22日から21年1月28日要望調査ー割り当て内示が2月9日、平成21年度補正は21年4月27日成立ー21年4月27日から21年6月9日まで要望調査ー7月1日割り当て内示である。時期的に似通っている20年度の1次補正を参考にすると今月中に成立したとすると11月半ばが割り当て内示と予想される。

地方では公共事業の削減もあり建設業の苦境が続いている。今回の民主党の経済対策はねじれ国会を乗り切るために公明党や自民党の考えも盛り込みながらまとめられた。一日も早い成立を望む。

厚岸かきまつり

2010年10月7日 木曜日

10月4日、2回目のカキ祭りツアーを催した。1回目は2年前に河村たかし現・名古屋市長に参加していただいて500人規模で実施した。お食事会場のキャパシティーを超える数だったためにスタッフに苦労をかけた。今回は会場の関係もありバスの台数を少し減らして実施した。河村さんから「政治家は難しい話ばかりしていても駄目だ。みんな聞いてないんだから。演説会を開催するよりもバス旅行に参加していただいてそこで酒を飲みながら温泉につかりながら政治談議をするほうがよっぽど聞いてくれるよ。有権者も普段言えないことを気軽に言えるしね。とにかくバス旅行をやりなさい。」と勧められたのがきっかけである。河村さんは3日間で2000人以上のバス旅行を催すそうだ。数度の落選を経て議員となり今は名古屋市長として地方政治の改革のために戦っている。それを支えているのはこうしたバス旅行などで築いてきた後援会の力も相当あるだろうと思う。また来年も実施したい。

検察審査会議決

2010年10月5日 火曜日

東京第五検察審査会が小沢一郎民主党元代表に対して起訴すべきであるととの議決を出した。

裁判員制度の導入そして検察審査会制度に強制起訴権限の付与と司法制度の変更に伴い国民の司法への参加が進んでいる。昨年の制度変更後、強制起訴された事件、事故は3件である。兵庫県明石市の歩道橋事故、JR福知山線の脱線事故、沖縄の会社社長による詐欺事件だ。比較的マスメディアに大きく取り上げられ被害者が多数いる案件である。陸山会事件は4件目だ。今回の議決には様々な意見があるが起訴という判断は大変重い。

裁判員や審査員の方々に対して報道に接するなというのは不可能である。小沢氏がテレビ番組で検察審査会を素人の方々が判断したことと批判したことが影響があったのではと神洋明弁護士は指摘する。大きな事件を扱う場合に裁判員や検察審査会委員に大衆が(メディアとも言える)期待する結果に反する結果を出してしまっていいいだろうかという気持ちが深層心理にないとは言えないであろう。証拠に基づいてとのことであるが私自身も水谷建設の現金授受問題の件では全くの捏造証拠でありそのようなものも審査判断に入れられている可能性もある。

審査会では審査対象の容疑者の言い分を聞く仕組みは無い。検察審査会の判断は尊重しなければならないが裁判結果ではない。本当は罪を問えない人を市民感覚では違うということで法廷に引き出してしまう恐れもある。裁判官時代、再審無罪が確定した「徳島ラジオ商殺人事件」に関わった秋山賢三弁護士も「強制起訴制度が公訴権の乱用になりかねない」と語り、制度が新たな冤罪を生むことを危惧している(10月5日毎日新聞)。

浅野議員の初公務

2010年10月3日 日曜日

自衛隊の足寄分屯地での17周年記念行事に参加してきた。浜大樹から上士幌の韃靼そば祭りに寄ってから足寄に向かった。足寄の弾薬庫誘致には鈴木宗男新党大地代表が故・中川一郎先生の秘書時代から誘致に取り組んでいた基地であるので初公務がこの足寄で非常に感慨深いと挨拶。私は自衛隊での初挨拶の時には紙に書いたものを読みながら震える手と足を必死にこらえながら話したのを記憶しているが浅野代議士はメモも見ずよどみなくお話しているのを見てさすがと感心する。鈴木代表の質問主意書は戦後の政治家で最多でありおそらく今後も破られない記録であるが浅野代議士がそのサポートをしていたのは関係者なら誰もが知っていることである。鈴木代表の後を担う即戦力としての期待は高いが初公務は立派に期待に応えていた。これから協力して地域のために日本のために頑張っていきたい。