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稲むらの火と関寛斎

2011年3月15日 火曜日

昨日は後藤新平のような大胆な発想で新たな街づくりをと提言した。

今日の東京新聞で三陸町吉浜の高所移転による被害防衛の記事が出ていた。私は秘書時代に三陸町担当であったのでよく伺ったものだ。三陸町は3つほど集落がありそのうちの一つが吉浜である。アワビが有名な地域だ。

確かに吉浜地区は高台にある。これは1933年の昭和三陸大津波の際に東京帝国大学教授・今村明恒氏が政府を説得し高地移転を実行したそうだ。今日の記事から抜粋すると戸惑う住民を「もう君たちの代にはこんな大津波は無いだろう。しかし子孫のためを考えるんだ。村の百年の大計どころか、百年のにわたる仁政ではないか」と。

この今村教授が戦前に津波に対する教育のために題材としたのが「稲むらの火」である。ヤマサ醤油の創業者である濱口梧陵が主人公のモデルだ。

地震の後、潮が急激に引いていくのを見て、大きな津波が来ると予測し村祭りの準備に没頭している村人の注意を引くために自分の稲に火をつけ高台に避難させたという話である。濱口の機転と犠牲の精神が共感を呼ぶ話である。

ちなみに陸別町開拓の父、関寛斎は濱口梧陵の依頼を受け安政の大流行が起きていたコレラの予防に全力を傾けた。結果、銚子では最小限の被害に食い止めることが出来た。濱口は改めて西洋医学の大切さを痛感し寛斎の長崎留学に金100両を拠出するのである。

濱口がいなければ関寛斎が西洋医学の勉強のために長崎へ行くことが出来なかった。改めて濱口梧陵の懐の深さに敬服する次第である。