2011年4月 のアーカイブ

フェリーにて

2011年4月29日 金曜日

帯広事務所を出発して天馬街道を通って日高沿岸を走り苫小牧に着いた。

苫小牧のコンビニでばったり高校時代の同級生の佐々木君に会った。大学時代に飲んで以来なので17年ぶりくらいである。昨年もオランダで空港に出迎えてくれた大使館員が同級生の星野君だった。

さて、フェリーに乗るのは何年ぶりだろう。

きたかみという大きなフェリーだ。最終目的地は名古屋である。

札幌市消防局の緊急消防援助隊の車や自衛隊の車などが同様に乗り込みの準備をしている。

目的地の仙台まで15時間ほどの船旅である。

川村証言を聞いて

2011年4月28日 木曜日

昨日、水谷建設元社長、川村証人の尋問が行われた。

午前中の主尋問のみで報道されているので小沢氏側に1億円渡したという部分だけがクローズアップされて報道されている。

まったくもって一方的な報道であり昨日の公判のポイントについて申し上げたい。

まず私自身、川村氏の記憶が無いので昨日初めて顔がわかった。優しそうな顔をしているというのが第一印象である。まあ私も比較的特徴のない顔をしているが川村氏も同様なので覚えていないのも仕方がない。小沢一郎政経フォーラムには300人前後の方が毎回参加してくださっている。年4回なので顔なじみになるまでには会社や自宅にお伺いするなどしたりパーティーで撮った写真に名前を書き込んだりして覚えるようにしていたが川村氏の記憶はない。

恐らく一度か二度名刺交換したくらいだと思う。公判の中で議員会館で私に会ったと証言し他で会ったことはと聞かれ向島の料亭かパーティー会場でと彼は答えた。しかし私は議員会館で勤務していないし向島の料亭にも行っていない。全くのでたらめである。

そして受け渡しについて渡した相手を彼自身の検察官調書で最初は確か石川秘書と言い、その後私が逮捕された後に石川だったと断定している。

しかし考えてほしい。5000万円も渡すのに携帯電話の番号も聞かないで顔もわからない相手に渡すのだろうか。

しかもホテルのロビーという目立つ場所でなぜ渡すのか。普通なら部屋を取るのではないのか。

大正時代のお見合いではあるまいし目印は紙袋を持っておりますからと大久保に言ったと言っている。馬鹿馬鹿しい。

他にもたくさんの矛盾点が弁護側から指摘された。

当時、若葉マークの社長だったと本人の口から出ていた。要は自分自身に権限が無いことを示唆した言葉である。

では何故一億円の裏金支出については自分の判断で出来たのであろうか。

また裏金の金額についてどれくらいあるのかまったく知らなかったと言っている。考えてほしい。普通、お小遣いあげる時に財布の中にいくらぐらいあるのか確認してからあげるものではないだろうか。残高についてまったく知らないと言いながら一億円は即決で決めたと証言している。

自民党側から川村社長がこのような証言をして得は無いから証言に信憑性があると言っているがマスコミが取り上げた部分だけで判断されるのはとんでもない事である。

事件の核心はなぜ川村はこのような嘘の証言をしているかなのである。

自分自身で使ったのか。他に渡したのか。

こんなことがまかり通るのであれば嘘の証言で他人を陥れる事がはびこる世の中になる。

断じて負けられない。

被災地へ

2011年4月26日 火曜日

連休中、被災地に支援物資を届けにいくことにした。

後援会や知人に支援物資を募り帯広から車で向かうことにする。

乗らない分についてはまずは被災地の近くに送りそこから車で運ぶことにした。

小沢事務所時代は岩手県で三陸沿岸担当秘書として仕事をしていた。年に4回後援会法を配っていたので陸前高田市、大船渡市、三陸町(後に大船渡市に合併)住田町などは今でも知人が多い。

私が衆議院議員選挙に立候補してから一度もお伺いしていないので本当に懐かしい。

但し、今回の津波災害では多くの知人友人が被害にあった。

国会議員になってから一度もお会いできずお参りというのが非常に残念であるが元気で過ごしている方には激励をしたい。

たまたま後輩秘書から三陸町の掛川さん(元町議会議員)が石川さんと久しぶりに会ってみたいとおっしゃてますがと聞いたので電話をかけてみた。

まずは被災のお見舞いを申し上げた。

そして以前から防災移転事業を行った地域として指摘している三陸町吉浜地域について聞いたところ事情を知っている方を付けて案内してくださる約束をしていただいた。

このように被災地をよく見ることにより今後の復興に向けてきちんと意見提言出来るようにと考えている。

統一地方選挙後半戦終了

2011年4月25日 月曜日

統一地方選挙後半戦が終了した。

帯広市議会議員選挙では民主党・連合推薦候補の全員当選、山崎道議会議員支持議員の躍進で米澤市長のフードバレー構想推進に向けてよりよい体制になった。

女性議員も増加し過去最多の7名の当選となった。藻谷浩介さんは著書「デフレの正体」の中で消費力の強い若者人口が減少する中で女性の社会進出により消費の減少を補うべきと唱えている。女性議員の活躍に期待したい。

帯広市議会は与野党が拮抗する形になったがフードバレー構想については一丸となって推進してもらいたい。

各町村長選挙は全て現職当選となった。災害時は変化を求めないと言われるがその通りになった。引き続き頑張っていただきたい。

昨日の裁判報道

2011年4月23日 土曜日

私が、国会議員としての職務に関し、賄賂を受け取ったことを認める旨の供述を行った旨の報道がなされております。しかし私としては、そのような検察官調書を取られておりますが賄賂などは受け取っておりません。

私が支援者等から受けたパーティー券収入等について、検察官から「そんなものは賄賂だ」と決めつけられて調書にされ署名を迫られたのです。

そしてこの点につき、私の女性秘書が別の検察官から逮捕されると脅されていたので、そのような事態を避けるため、私は致し方なく署名しただけです。要するに無理やり署名させられただけです。

現に、昨日の公判に証人として出廷した検察官も賄賂であるなどと判断したとは証言しておりません。

主尋問の一方的な供述内容で報道されており反対尋問については報道されておりませんので誤解ないようにお願い申し上げます。

塩狩峠

2011年4月21日 木曜日

佐藤優さんの原稿に引用されていた塩狩峠を読んだ。

実在の話をもとに三浦綾子さんが小説化したものである。

東京そして北海道札幌、旭川を舞台に明治の世に自らの命を犠牲にして多くの乗客の命を救ったクリスチャンの生涯を描いた物語である。

なぜか同じ時期に二人の方からこの小説の話を聞いた。

3月4日に伊勢神宮に参拝した時に講師の山中先生から。そして震災後に佐藤優さんからである。

自己を犠牲にしてでも他者を救うという力はどこからくるのか。日本男児が持つ大和魂なのか、信仰の力なのか。

いずれにしても今回の原子力発電事故で冷却や修理にあたっている方々は自分たちの力で国民を救うんだという崇高な気持ちで仕事に従事されていると思う。

彼らがしっかり仕事が出来る体制づくりに努めたい。

腎友会ー末永く共に生きる

2011年4月20日 水曜日

今度の日曜日にとかち腎友会総会にお招きを頂いている。

週末は毎週何らかの行事にお招きを頂いているので行事が重なることも多い。自分の日程に合わせて集会を組んでくれたところや自分自身の後援会の会合、または年に一回しか総会のないところなどを優先して参加するようにしているが腎友会の総会には出来るだけお伺いするようにしている。

初当選後にお伺いした時に驚いたのは自分の知っている方が腎臓病で苦しんでいるという事実だった。普段お会いした時に全くわからず総会に参加して初めて苦労を知ることになったのです。

人工透析は週に3回、1回に4時間程度時間を要する。健常者は24時間(1週間にすると24時間×7日で168時間)腎臓が機能しているが人工透析を受けておられる方々は週に12時間しかこの機能を使えないことになる。

今回の東日本大震災では厚生労働省、日本透析医会、北海道庁などが素早く連携をして透析患者の受け入れを行った。患者さんたちにとっては1週間受けることができないと生死に関わる問題である。関係者の命の連携に敬意を表したい。

さて、自分の選挙区の事情を北海道庁に確認をしてみた。腎臓機能障害による身体障がい者手帳交付者は1021名である。

透析医療機関は10年前と比較すると医療機関は13→20へ、透析設置台数は226→337へ増加しているとのことであった。

しかし19市町村全てで透析治療が受けられるわけではない。

私の生まれ故郷の足寄町は隣の本別町か音更町まで行かなければならない。通院補助が北海道から出ているが相当な負担である。

北海道は広い。隣町まで通うのにも30分前後かかる。そして都会のように交通機関が発達しているわけではないので自分で通うことが出来なくなった場合には誰かに助けを求めなければならないし場合によっては移住しなくてはならない。

連続携行式腹膜透析や在宅血液透析の増加により通院の負担を和らげることが出来ればと思うし献腎移植の普及をしなければならないと改めて思う。

ちなみに臓器移植提供意思登録を行った。秘書時代にカードを貰って自分で書いていたが改めて登録を行った。

今日の朝日新聞社会面に脳死少年から膵臓と腎臓の提供を受けた女性のコメントが掲載されていた。

「末永く共に生きる」と。

腎臓移植の希望者は2011年3月末現在で12201人。しかし今年になってからの移植件数は36件である。

移植により死者が他者の生命を長らえさせているんだという教育を施し移植増加の啓蒙をしていきたい。

放射能の影響

2011年4月19日 火曜日

十勝管内のでもドイツと取引のある企業がある。

プラントの修理をドイツにお願いをしたがドイツ人技師が一緒に来てもらわないといけないのだが製品だけ届いて技師が来ないという。

日本はレベル7。危険なのでいけないということだ。

福島原発の問題の影響を改めて思い知らされた。

北海道は安全と伝えるが理解してもらえるかどうかまだわからない。

日本政府は世界に対してきちんと発信しなければ日本経済に大変な影響を与えることになる。

国会決議がなされなかったがまずは感謝決議。そして情報公開を徹底していかなければならない。

世界の信頼を取り戻さなければどんどん大変なことになってしまう。

後半戦スタート

2011年4月17日 日曜日

統一地方選挙の後半戦がスタートした。

朝から各候補の事務所を激励にあいさつ回りをした。

帯広市議会議員選挙は定数32で35名の立候補となった。

少数激戦である。

米澤市長が提唱するフードバレー構想への関わり方がひとつの争点かなと思っている。

全国で首長と議会との対立が目立つようになった。今までと違い地方議員にも名誉職的な意味合いではなく実力が問われてきている。

投票率の低下が気になるが各候補の主張を吟味して一票を投じてほしいと思う。

阪神淡路大震災を経験して

2011年4月15日 金曜日

昨日、元自衛隊第5師団長で現在は第一生命顧問の山下輝男氏をお招きして防災勉強会を開催した。

山下さんは平成7年の阪神大震災時は方面総監部防衛部長、平成15年の十勝沖地震時には師団長でありその際の対応などについてもお話頂きたくお願いした。

タイトルは「大震災と危機管理 阪神淡路大震災を経験して」である。

阪神淡路大震災時には都道府県知事からの要請では動けないことや災害時でも自主判断が制限されている事に批判が出た。

しかし今回は村井宮城県知事からは地震発生後8分で要請が出たことによりスムーズに救援活動が運んでいる。前回のような自衛隊出動に関して法体系の不備は指摘されていない。山下さんが当時感じた不備の点をしっかりその後、検討し改善していったことが生かされたと感じた。

また被災後の復興にあたってがれき処理にも質問が出た。がれき処理には自衛隊の施設化部隊を集中したそうであるがコンクリートカッターなど人命救助用器材の不足、私権の侵害など諸問題があり難航したとのことであった。

今回も相当のがれきが出ている。山下さんから学んだことは淡路島では民間業者との共同作業により効率的に行うことが出来たとの事例紹介があった。がれき処理では自衛隊の力は民間に比べて器材が足りないのでお互いが協力し合う事が大切である。今回の復興にも生かしていきたいので政務3役に提案する所存である。

阪神大震災時の自衛隊の区割りについては自治体ごとに部隊を配置しないと首長さんがどこに相談をしていいかわからなくなるのでわかりやすく配置したそうである。また普段から自治体と自衛隊との緊密な連携をしておくことが有事の際に生きてくるとの提言があった。

最後は非常時の際の組織論のお話を頂いた。その中で第二次世界大戦時のリーダー像に言及し国民を鼓舞するリーダーが必要とチャーチルの例を引き合いに出された。

私も同感である。菅総理にその資質があるかどうかは疑問だ。