‘裁判について’ カテゴリーのアーカイブ

捜査報告書問題

2012年3月22日 木曜日

小沢裁判も結審を終え判決待ちとなった。

この裁判の中で捜査報告書の虚偽記入問題が浮上した。

検察審査会に提出した捜査報告書に実際に無いやりとりを記録しているというものである。

検察審査会の判断に影響を与えたであろうことは間違いないだろう。

捜査報告書は内部文書という位置づけと検察は言うが検察審査会に提出したのであれば立派な公文書である。

どうしてこのような事が起こったのか。

メルマガ「汚名返上」で書いてみたのでご覧いただければと思う。

調書不採用と判決の行方

2012年2月18日 土曜日

昨日小沢裁判が開廷され大膳裁判長が私の調書を含む多くの調書を不採用と決定した。

この決定は録音テープにより検事の利益誘導や威迫などが明らかになり調書はこうした硬軟織り交ぜた巧妙な手口で作られていることから信用できないとされた。

この裁判が無罪になる事を信じているがまだわからない。

私の裁判でも推認という手段で証拠物が無いものまで認定し有罪としているからだ。

しかし取り調べの可視化に向けては大きなきっかけとなったと思う。

とにかく判決を見守りたい。

資料リスト回答拒否

2012年2月7日 火曜日

地検が検察審査会に対してどのような捜査資料を提出したかのリストを東京地裁が地検に対して回答を求めたところ拒否したことが判明した。

2月5日日曜日の朝日新聞の朝刊では私が発言していないことが捜査報告書に書かれていたことの新たな箇所がわかったことも報じられていた。

検察審査会制度は導入されてまだまもない。

制度の運用は試行錯誤しながらこれからも続いていくと思うが見直しすべきところがいくつか出てきていると思う。

その一つが検察審査会がどのような資料や検察官の説明に基づいて判断したかである。

今回の件が今後の見直しにつながるように努力していきたい。

捜査報告書ねつ造問題

2012年1月14日 土曜日

平成22年5月17日に私が東京地検特捜部へ再出頭した際に受けた取り調べの捜査報告書に,取り調べの際に話してないことが捜査報告書に記載されている事がわかり、市民団体が告発をした。

この問題のポイントは、検察審査会による小沢氏への強制起訴議決の判断材料として使われた物の中に、この捜査報告書があったことである。

調書と捜査報告書の違いは何か。

調書はかなり強引に作られるが被疑者が確認することが出来る。しかし捜査報告書は確認することが出来ない。捜査報告書は検察官が恣意的に変更を加えることが出来るのだ。

この問題を、田代検事の個人的な問題としてはいけない。個人的に特別問題のある人だとは思っていない。恐らく多くの人と相談する中で「こういった内容にしよう」と捜査報告書を作ったと思えるからだ。

実際に、こう言った事がもっと行われていると思う。偶然、録音テープがあったから発覚しただけである。

今後の課題としては、検察審査会の審査の際に捜査報告書を用いるのか議論しなければならないと思うし、捜査報告書の位置づけを法的にはっきりしなければいけないだろう。

勾留百二十日

2012年1月12日 木曜日

元大阪地検特捜部長である大坪弘道の獄中手記が昨年出版された。

タイトルは「勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか」である。

大坪氏は村木事件の際、陣頭指揮を執っていた特捜部長であり証拠改ざん事件で証拠隠滅を図った罪で逮捕された。元特捜部長が逮捕されるのは前代未聞の事である。

村木さんが裁判で無罪になり冤罪事件となったことにより大坪氏は国民から権力を乱用する悪と映った。そして古巣の追及による逮捕である。この手記を発表したのは広く国民に対して自分の逮捕が検察の組織防衛の犠牲になったものだということを知らしめたいという意図があることが本からは窺えた。

私も勾留経験があるので拘置所の中の描写は当時を思い起こさせた。経験したものでしかわからない事が書かれていた。

そして佐藤優さんからの手紙や鈴木宗男先生の事件についてなども言及していたり地元の弁護士の斉藤道俊弁護士が大阪まで面会に行ったことなども記述されていたのでついつい一気に読んでしまった。

特に注目したのが「ストックディールの法則」についての記述である。ベトナム戦争時代8年間残忍な拷問や虐待を受けたにもかかわらずついに屈せず解放後アメリカの英雄になった人間の生き方のことだ。

この中で「違いをもたらすのは、困難にぶつかるかぶつからないかではない。人生の中で必ずぶつかる困難にどう対応するかだ。」という一文に目を引き寄せられてしまった。

自分自身の現状に重ね合わせ自分も頑張らなければと考えさせられた。

人生は公平ではない。私も与えられた状況の中で頑張っていきたい。

小沢尋問始まる

2012年1月10日 火曜日

いよいよ今日から小沢一郎証人尋問が始まった。

傍聴券は48席に1000人以上が並んだということなので関心の高さがうかがわれる。

弁護側と検察官役の指定弁護士側双方からの質問で合計2日間の日程である。

この裁判の最大の山場を迎えたことになる。

私の裁判ではこの収支報告書の記載が本当に罪なのかどうかが起訴の理由であるが小沢裁判では共謀があったかどうかがポイントとなる。

午前中は弁護側からの質問に答えたようだ。

「自分は国事に専念していた」という答えは検察に対する小沢氏の怒りの表現だろうと思う。

具体的な被害者のいないこの裁判で失ったものは何なのかとつい考えてしまう。

それは政権の混乱だろうと思う。

政治の安定の為にもいい結果が出ることを期待している。

特捜部の妄想

2011年12月19日 月曜日

前田元検事が証人として出廷し4億円がゼネコンからの裏金と推定したのは特捜部幹部の「妄想」と切って捨てた。

現場は厭戦ムードが漂っていたが一部の幹部の妄想により突き進んでいった事がうかがえる発言である。

小沢と特捜部の全面戦争と主任検事から言われたそうだが特捜部は巨悪と戦うべきであって自分達の存在意義の為に目立つ人と戦う組織ではない。

池田尋問終了

2011年12月9日 金曜日

昨日、池田元秘書の証人尋問が終了した。

池田君は早稲田大学鵬志会の後輩で樋高さんの誘いで小沢一郎事務所に入った。

私より4歳年下の後輩である。事務所へは大学4年生の春から入っており普通の学生に比較すると一年早く社会人として厳しい書生生活に入ったことになる。

書生生活の後に岩手県事務所で勤務となり4年近く岩手県事務所で勤務した後に東京事務所勤務となり私の後任として経理の担当に就任した。このレールに乗ってしまったことが彼の人生を狂わせたことになってしまった。

私が立候補を控えて多忙にしており引き継ぎが十分に出来ていなかったことも彼に迷惑をかけてしまった。

まあ私自身も前任者から十分な引き継ぎを受けたとは言えないのでこんなもので十分と思っていたが。

政治資金収支報告書のサインも大久保氏のサインを私が勝手に代筆していたことを参考に見よう見まねで行っていたと思う。

長い証人尋問は非常に疲れたと思う。

お疲れ様と声をかけてあげたい。

大久保尋問始まる

2011年11月30日 水曜日

大久保秘書の証人尋問が今日から始まった。

釜石の自宅は津波で流されており仮の住居で過ごしている中で精神的には大変だろうと思う。

今日の尋問のポイントは

① 大久保氏がどの程度、政治資金規正法を理解していたのか。

② 作成に全く関与していないのか。

というところだと思う。

私は「名ばかり会計責任者」と命名しているが実態はそんなところである。

私は名ばかり会計責任者の事務所は相当数多いと思っている。実際に事務所の責任者を登録しているところが多いからだ。しかし中身の確認は大きい事務所であれば経理の担当に任せてあるだろう。

私は今回の裁判所の判断が捜査のハードルの高低に関わってくると分析している。

下がりすぎれば政治家にまで及んでしまう恐れが出てくる。

判断を注視したい。

証人尋問を終えて

2011年11月2日 水曜日

合計2日間にわたる証人尋問を終えた。

合計10時間以上、600分以上行われた証人尋問はさすがに疲れた。

私の一審と同じくらいの時間である。被告人と同様の尋問時間だ。

申し訳ないがつい「ぼー」としてしまうこともあった。特に昼休みを挟んで午後3時から5時くらいまでは特につらい。

一回目は証人控室で水を持ってくるのを忘れたので裁判長にお願いして水を飲ませてもらった。3時45分くらいから少し飲ませてもらったが某新聞は「しきりに水を求めた」となっていたので「ちょっとそれは」と思ったが・・・

調書の任意性が焦点となったがそのあたりは今週の「日刊ゲンダイ」に私の気持ちを書いておいたのでご一読を。